改めて、自己紹介です~EC通販業界で生きております

ブログを書き始めて、1年強で。毎週とまではいかず、ただ「ほぼ毎週投稿」していて、ふと気づく。
自己紹介が無い、ことに。

子供時代

 1960年台(ギリギリ昭和30年台)生まれで、生まれた年は前の前の東京オリンピック。でも11月後半生まれで、世に出た時にはオリンピックは終わっていた。ちなみに前の東京オリンピックは東京にいたけど近寄らず・・・・。
 美容師の母から生まれ、オヤジは木型士(もう世の中にこの職業は無いのでは?鋳物を作る前に、その形:内側の型などを木で彫って作る職人)。手先の器用な両親から生を受けたけど、とても不器用な私。大人になってもう一つ気づくのは地図が読みない、よく迷うので、おばさま能が子供時代に、母の美容室で育ったのだと自分では確信している。

大阪生まれで、大学生までそのまま大阪。二、三度の引っ越しは生まれた市内であった。べつに取り柄も何もない子供。テキトーに遊び、テキトーに学んだ。両親のおかげで大きくしていただいた。また親戚が家の周りに多い地方都市だったので、おじさんやおばさんや従兄たちに恵まれた。

中高生時代~サッカーだけ。

 おぼろげながら覚えているのは、社会科の先生と美容師とサッカー選手に憧れていた。サッカーは一番仲の良かった従兄の影響と、あまりも活躍できない草野球に楽しみを見出していなかった。当時はスポーツ=野球的な世の中で、サラリーマン職人の親父が夕方に家に帰ってくると、サンテレビの阪神戦ばかり見ていた。その反動で巨人ファンに。でも野球に興味はなく、中学~高校までサッカーをしていた時以外の記憶が少なく。
高校進学でも「近くに日本代表クラスの先生が来るらしいで」、これで簡単に決めた高校。三年間みっちりと絞られ、成長を助けてくれた。その恩師はその後、仲人さんまで引き受けてくれた。本当に感謝しております。

 大学進学はその厳しい先生からも「お前はサッカー部のキャプテンやから、推薦を付けてあげられるぞ!」と言われて、3年生の夏の大会で3回戦か4回戦の予選で負けてしまい、やることが無かったので、急遽、受験勉強を。この時も、従兄で一番優秀だった兄さんが励ましてくれた。ちなみに新設高校の一期生だったので、先輩はゼロだった。体育の時間は校庭のグランドづくりなど、土方業務も体験されてくれた。

バイクぐらいしかなかった大学時代

 さて、当時の高校ではバイクの三無い運動。今でこそ書くが、バイク好きの従兄(サッカーの人と同一人物)のホンダ400CCにめっちゃ憧れて、でも原付免許を取ったばかりの16歳はスズキのスポーツタイプの50CCをフルフェイスのヘルメットで顔を隠して、サッカーで「へとへと」になっていなかった時以外は近隣県へ走り出していた。
 大学になって、サッカーの才能もないことも既に承知していた、ちなみに不器用さから美容師なんてありえない事も青春の頃に悟っていた。
それで大学入学と共に、小型→中型→大型二輪と大学の割と近くに自動車試験所があり、どれも一回か数回でパスしていたので、大学時代はバイクづけ。というか、もっぱらツーリング主体。
 また従姉の北海道大好きねーさんに感化されてしまい、バイクで行ける長い休みはほとんど北海道を目指して、陸走やら関西からのフェリーやらで北海道へ。当時、一緒にバイトして友達になった人たちの中には、そのまま移住された方も数名。僕の場合は九州やら四国やらも数回、走りに行っていたので、就職(活動)もせずにオーストラリアに行くことになった。

オーストラリア時代~またバイク。

 もう文章が長くなって、居酒屋で昔話をするオヤジ状態なので、簡潔に。
同級生の友達たちが就職する4月頭に香港経由で渡豪。目的はバイクツーリングだったが、当時バイトで雇っていただいた日本食レストランで資金をためて(もちろん、大学4年の時は国内でも相当なバイトをしていた)バイクでオーストラリア、まぁ4分の3周程度。メカにもさほど詳しくないのに2回にわたり砂漠走破したり、バイクを買える前はヒッチハイクで半周したり、再度はNZランドでホースバックライディングしたり、と。当時のバイクはホンダのXL350。600にしたかったが金が足りなかった。その後、帰国後にXR600を探したことも思い出す。それで750(ナナハン)にのらず、BMの800とか、、、書かない車種を含めるとエンデューロレーサーとかも数台あったし、多分数えきれない。

サラリーマン時代~通販と出会う。

 最後はさっと。大学から関心のあった広告業界へ。入ってみると(というか、就職浪人だったので、大学のバイト時代~フリーライターとか編集者の助手とかやっていた頃のご発注者がその会社に転職されていた)、セールスプロモーション全体の代理店で、マス広告はほとんど無かった。9月の中途入社扱いから1年半で大阪本社から東京支社へ飛ばしていただき、出会ったのがカタログ通販(支援)。中でも航空会社とか輸入車とか本格的な書店のカタログ通販支援は面白かった。商品選びや商品開発~カタログづくりや広告タイアップやリスト管理からコールセンター運営までご一緒できた。
 当時の上司が独立されたので、その後に現在のグループに転職するのであるが、結婚を決めたと同時ぐらいに関西へ戻り、Jリーグのチーム立ち上げや関西空港オープンでヨーロッパのエアラインの日本就航のサポートでも、通販の基礎知識=ターゲティングや集客やDB管理やコールセンター対応などがとても役に立った。

と言う訳で、EC通販業界で生きております

 と言うわけで、かれこれ30年以上も通販業界で生きております。途中でイベントにはまったり、印刷物たちと格闘したりした日々もそこそこありましたが、基本はダイレクトマーケティングです。途中で何度も自分で通販がしたくなり、複数やってみたり、まだまだ気が治まらず1年前にはまた男性化粧品のDTCをはじめたり、と。なお、冒頭の写真は私ではありません。

 何か美容師にも社会科の先生にも、もちろんサッカー選手にもなれなかったけど。趣味は通販することで、もう旅みたいなもんやね。なので、どこへでも出張します。出来れば、地方都市が嬉しく、それが海外だったら、まだまだトキメキます!

会社/DMGコンサルティング株式会社https://www.dmgc.jp

DTC/GAコスメティックス



どうぞ、よろしくお願いいたします。